代表コラム
2024.07.11
<コラム>【一蓮托生】Vol.49 「シェア型セカンドハウス」市場における歴史~セカンドハウスルーツを辿る~
「シェア型セカンドハウス」について述べる前にまずはセカンドハウスの歴史について触れてみたい。
日本におけるセカンドハウスの歴史は古く、さかのぼること平安京時代にルーツがあるようだ。
日本におけるセカンドハウス(別荘)のルーツは、平安京時代に天皇や貴族が本拠地以外の邸宅を都の郊外の風光明媚な地、平安京の近郊である嵯峨、白河、鳥羽、宇治、山崎周辺などに設けたのがルーツと考えられている。
そして少し時代は飛ぶが、庶民に別荘が広まったのは明治中期以降といわれ、
特に有名なのが長野県軽井沢町である。
軽井沢の別荘地のルーツは、明治時代に西洋から避暑の概念が導入され、政治家や財閥などが来日外国人を真似て西洋風の別荘レジャーを楽しむようになった。
特に有名なのは、明治18年「アレキサンダー・クロフト・ショー師」が、この地(軽井沢)を『屋根のない病院』と呼び絶賛したことが始まりと言われている。その後明治21年に自らが軽井沢で最初の別荘を建てた。この別荘が『軽井沢の別荘』を生み出すものとなったのである。
さらに、海や山を臨める場所(鎌倉、江ノ島、葉山、須磨、芦屋など)に別荘や別邸が建てられ、多くの貴族や富裕層でにぎわいを見せ始めたのが明治中期以降と言われている。
ざっと総括すれば、これらセカンドハウス(別荘)のルーツは、平安京時代に天皇家、貴族、皇族の別宅(保養地)から始まり、明治中期頃、宣教師であるショー氏が愛した軽井沢などから全国に発展、そして一部の富裕層から徐々に庶民に広がっていったと考えられている。
このセカンドハウス市場が、現代において市場拡大を秘めている。
次号では昭和の高度経済成長期から、バブル期まで一気に時代をたどってみたい。
(生まれは舞鶴市)
事業管掌役員
(ピラティス等)他
※小さな力でも数が集まれば大義を為せる