代表コラム

2024.07.25

<コラム>【一蓮托生】Vol.50 「シェア型セカンドハウス」市場における歴史②~バブル期までの遍歴~

高度経済成長期、箱根や軽井沢などでリゾートマンションが富裕層向けに供給されるようになったのが昭和40年前半のことである。参考までに、箱根で初めて供給されたリゾートマンションは、「箱根国際マンション」とされており、仙石原から望む雄大な自然が売りだ。(以下URL参照)
100㎡を超える部屋も多くあり、いかに富裕層向けに供給されていたことかがおわかりいただけるだろう。

 

<箱根国際マンション概要>
【SUUMO】箱根国際マンション 中古マンション物件情報

 

その後、バブル景気により、箱根、軽井沢以外では苗場や湯沢などの大規模リゾートマンション開発が盛んとなり、今では考えられない価格で取引されていたようだ。
ここで申し上げたいのは、リゾートマンションや別荘が昭和40年代~50年代は富裕層による実需とした購買層であった一方、昭和60年代以降は実需よりも投機的要素に変貌していったことが大きな違いである。

(ここで言う投機とは、リゾートマンション等を売買差の利益目的での購入動機層のこと。)

 

繰り返しだが、このバブル期のリゾートマンション投機及び原野商法的な無価値の土地を売買する悪徳業者が社会問題化した時代である。

 

バブル期私はまだ高校生だった為実体験として語れることは少ないが、不動産が投機対象となり、日を追うごとに不動産価格が上昇。その結果、都心に家を買えない層が郊外のマンションや戸建てを求めて、我先にと家を探し求めているのが現在の状況である。

 

現在の都心の新築マンション(晴海フラッグ等)も一部の実需ではない投機目的での購買層が一定数あることを鑑みると、この状況は当時と現在での金利差の違いはあるが、バブル期と同じような傾向であることが危惧される。

 

バブル期のリゾートマンションの取引事例として、現在当社が所有する箱根仙石原にある「ヴァークスイート箱根」は、1990年頃、当初リゾートマンションとして建設されたが、分譲される寸前にバブル崩壊となったため、バブルの遺産とも言える不動産であった。
なんとこの時に売り出し価格は1戸当たり1億6,900万であったことを鮮明に記憶している。(新築当初の販売資料が残されていた)

 

バブル崩壊後のリゾート環境は、過去一最悪期であったと言っても過言ではない。
この最悪期から現在までどのように変化していったのか、現在の市況や商品形態なども整理していきたい。

■プロフィール■
氏名 
田村佳克 1973年生まれ
出身地 
世界に誇る観光都市 京都 
(生まれは舞鶴市)
兄弟 
3人兄弟(末っ子)
現職 
当社代表取締役 兼 親会社/
事業管掌役員
趣味 
ゴルフ、読書、体幹トレーニング
(ピラティス等)他
特技 
早寝早起き
座右の銘 
群軽折軸(ぐんけいせつじく)

※小さな力でも数が集まれば大義を為せる