代表コラム

2022.09.29

<コラム>【一蓮托生】Vol.5 観光における集客の歴史とSNS集客の可能性 ~前編~

観光における集客の歴史とSNS集客の可能性 ~前編~

 

<国内の旅行の歴史>
SNSの可能性を語るに際し、最初にこれまでの国内の旅行需要や時代背景に触れておきたい。
旅の魅力は五感で感じること。この5つの感覚機能が人々を日常から解き放してくれる。戦後の日本人にとっての旅行は、夢のまた夢。なにより生存維持が優先されていたからに他ならない。「明日をどう生きるか?」が優先事項だったのだ。その後、高度経済成長が進むに連れて「生きる為に」から「人生の豊かさ」へと、求めるものが変化していった。そういった時代背景の中で、旅行という娯楽が世の中に徐々に普及していったと思われる。

 

歴史はさらに遡り、宿のルーツについて触れておきたい。宿屋の始まりは、主に江戸時代。旅人を泊める目的の宿場が発展していったことらしい。宿場が集まったことで東海道、中山道などは宿場町として繁栄していった。
この時代の宿屋は余暇としての利用ではなく、現代で言うならビジネスホテルに近い需要で、宿泊目的に“必然性”があったものと推測する。尚この必然性を前提とした宿泊需要は、交通手段の発展により需要が大きく変わる(減少)ことが多いのも特徴である。

 

戦後から昭和の高度成長期における旅行は“高嶺の花”であった。時代が大きく動いたのは、1973年。為替の変動相場制への移行により、これまで1ドル360円の固定から変動していった。日本の経済の実力が世界に可視化され、円高ドル安が進んでいく。そして海外旅行が徐々に増え始め、さらに国内旅行も盛んになっていく時代。また新婚旅行なるものが一般的になってきたのもこのころ(らしい)。
ちなみに私の両親の新婚旅行先は熱海だったと聞いている。(笑)
この頃から、旅行が家族の重要イベントになり、その後団体旅行が急増し、その需要に応える形で、旅館やホテルには大きな宴会場を持つようになった。(また修学旅行も地方観光の発展の一助となったことは言うまでもない。)その後のバブル崩壊以降、団体旅行は減少の一途を辿り、地方観光の低迷期が訪れることとなった。
(大雑把ではあるが、こんな時代の流れではなかろうか?)

 

<私の幼少期の旅行>
私が子供の頃、毎年家族で旅行に出かけていた。この旅行を楽しみに夏の宿題など頑張った記憶がある。訪れた旅先は、「天橋立」、「三保の松原」、「蓼科高原」、「鳥羽」、「城崎温泉」、「有馬温泉」などなど、今でも記憶に残っている。日常を離れることは、私にとって最も心が開放される時間だったのかもしれない。また、今思えば両親に連れて行ってもらった家族旅行の楽しさが、現在、私の地方観光発展への情熱の源となっているのかもしれない。

 

<旅の記憶力>
私の顕在化している記憶の中に、学校での勉強内容、日常で話したことや食事の内容などは、ほとんどない。しかし家族で行った旅行は、不思議と鮮明に記憶に残っている。この記憶の事象は、私に限ったことでなく、人類ほとんど同じではないかと思う。その事象から見ても旅は人類にとってとても印象深く、日常からの解放がもたらす記憶の重みを感じざるを得ない。
現在の観光市場規模は、世界で8.9兆米ドルとの推計が出ている。また、ジェトロが出している観光統計によると、今後その市場はさらに拡大することが予想されている。 旅は人に“素晴らしい記憶”として刻まれ、その快感が人類のDNAに刻まれているのではないかとすら思ってしまう。

 

<昭和のホテル集客>
時代を遡ること数十年前、アナログ時代真っただ中で、お客様をホテルや旅館に誘致することは容易ではなかった。この時代の誘客で活躍したのが、日本交通公社(現在のJTB)などの対面型の旅行案内所であった。多くの日本人は家族や友人と心躍らせながら旅行カウンターに行き、そして沢山の紙のパンフレットを見ながら『どこに行こうか!?』とワクワクする時間と共に旅行の申し込みをする。そういえば私も20代のころ家内と行った千葉県の勝浦旅行も同じく、東京新宿のJTBカウンターで申し込みをした。懐かしい。

 

後半ではインターネットの普及から現在の集客、そして今後予想されるであろう観光マーケットやSNSの可能性について今の考えを伝えていきたい。

■プロフィール■
氏名 
田村佳克 1973年生まれ
出身地 
世界に誇る観光都市 京都 
(生まれは舞鶴市)
兄弟 
3人兄弟(末っ子)
現職 
当社代表取締役 兼 親会社/
事業管掌役員
趣味 
ゴルフ、読書、体幹トレーニング
(ピラティス等)他
特技 
早寝早起き
座右の銘 
群軽折軸(ぐんけいせつじく)

※小さな力でも数が集まれば大義を為せる