代表コラム
2023.08.17
<コラム>【一蓮托生】Vol.27 金利上昇局面がもたらす潜在的リスクと可能性②
<地方のホテル旅館経営者の苦境>
地方の多くのホテルや旅館経営者は、資金確保に奔走し、運営改善やバリューアップの推進、マーケティングやPR(宣伝活動等)を一手に引き受けている。さらに温泉組合、旅館組合、各種会合に出席し地域とのつながり作りなど、経営者自らが奔走している。
本当にご苦労が絶えないだろうと、頭の下がる思いである。
しかしながらホテル旅館における「カリスマ経営者」には限界がある。
私見ながらその主要因となるキーワードを2つ挙げてみる。
①「カリスマ経営者」の末路
② 高齢者におけるホテル経営の苦悩
この2つのテーマごとに整理していきたい。
<カリスマ経営者の末路>
例えばホテルなどを起業した時は、事業は右肩上がりに成長していくことは一般的によくあることである。しかしながら多くの旅館経営者がこの成長が自身の実力やカリスマ性であると誤解する。さらに、事業が拡大すればするほど、金融機関などのステークホルダーからもてはやされ、さらに自己の過大評価につながってしまう。
私はここに大きな落とし穴があると考える。
上記のように、最初はなんでも自分で担うが故、経験値が高まることは間違いない。
しかしながら、ある部門や業務は他人に引き継ごうとすると、その業務レベルに対し不満が出てくる。結果、「やはり私でなければ・・・」という自負を増長させてしまう。
<金融機関の功罪>
地方の旅館ホテルの90%以上は、個人経営であるため、いわば株主と経営者の二刀流である。
結果この二刀流である創業社長に誰も進言できない事態が生まれる。
私はこの状況こそが、過去金融機関から多額の融資を受け、借入比率が高まった最大の要因であると考える。(金融機関からお金を貸すと言われ、それを誰も止めることができない状況)
正直お金を返さない経営者も悪いが、私から言わせれば金融機関も同罪である。
返済できる見込みもないホテルや旅館に多額の融資を実行してきたのが実態であり、
このプロセスを追求すると、金融機関の審査部なるものがいかに機能していないかがよくわかる。
(返せない前提で貸し付けているなら話は別だが・・・)
本来ここで重要となるのが、金融機関の厳正かつ公平な審査基準である。
ただ残念ながら地方の旅館の多くが債務超過に追い込まれてきた現状を見る限り、過去に多額の金を貸し込んだ金融機関の責任は重い。
またよくあるケースが、当該ホテルの再建計画について、金融機関が外部から連れてきたホテルコンサルや法律家が、ホテル再生計画なるもの提唱し始める。
現状分析を行うのは良いが、アクションプランまで定義するのは現実的ではない。
そして、余命宣告に近い状況になり慌てて資金回収しようとしても“時すでに遅し”である。
だから金融機関は、「晴れた時には傘を差しだし、雨が降ると傘を取り上げる」と揶揄される。
<ホテル経営におけるガバナンスの重要性>
例えば当社のような上場企業における意思決定で言うなら、
ホテルの購入や設備投資を行う場合、一定の社内手続きが必要である。
よって、私の一存でだけで事を進めることはできない。
特にホテル再生案件においては、当社の担当取締役の梶山とは、よく口論になるくらいである。
意思決定プロセスとしては、
投資額に応じ当社の取締役の過半数の承認、さらに一定以上の投資が発生する場合は、親会社の取締役会の決裁を仰ぐ必要もあり、そこには法律(企業法務含む)や会計などのスペシャリストの賛同を得なければプロジェクトを進めることはできない。
一方、国内のホテル旅館の90%以上が個人経営であり、このようなガバナンスが効いているとはとても考えづらい。
この一連の流れを総括すると、
「カリスマ経営者」は時間の経過と共に「マルチタスク経営者」となり、そしてその末路は替えのきかない「俗人化した経営者」となってしまう。
この状況に陥ってしまうと、事業承継はおろか60歳を超えても陣頭指揮を執り続けなければならない、この実態がカリスマ経営者の末路である。
地方の有能な旅館経営者も、時間の経過とともに世代間ギャップ、デジタルの遅れとが発生し、その乖離に気づいたときはほとんどのケースでは手遅れになっている。
次号では②の「高齢者におけるホテル経営の苦悩」について触れていきたい。
(生まれは舞鶴市)
事業管掌役員
(ピラティス等)他
※小さな力でも数が集まれば大義を為せる